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2014年4月5日―手書き文書とデジタル文書

小保方さんの実験ノート(手書き)が、3年間で3冊しかないということが、論文の信ぴょう性を揺るがしているそうだ。
「いまさら、手書き?」と耳を疑った。10年くらい前、大学では手書きのレポートを受けつけないところもある、と聞いた時、驚いたことも思い出された。その時は、読みにくい字で長々と稚拙な文章を数多く読まされる先生たちは、せめて見やすいパソコン(当時はワープロだったか?)の字で提出してもらいたいのだろう、と考えて、なんとなく納得できた。
 けれども、今や、だれもがパソコンを使いこなし、インターネットの情報を簡単に手に入れ、それをすぐに<コピペ>できるようになると、<オリジナリティー>、発明、発見、独創<でなければ、論文でない>と主張する人たちは、デジタル文書ではいけない、という。デジタルは、簡単につけたしや改変が出来る。実験データは正確でなければならないので、改変が出来るようなデジタルデータの記録は認めない。<正式なもの>は手書きだ、ということだ。

 率直に言って、ただの建前論だな、と思う。手書きでも、コピペと同じことは出来る。効率が違うだけだ。効率は、悪いより、良い方がいい。
 そして、効率良くコピペできる今の時代、98%がコピペあるいは従来の説の踏襲であったとしても、残り2%が画期的なものであれば、それは<成功>と認められるべきだろう。
 もちろん、<出典を示していないのは、盗用だ、けしからん>という批難をする人もいる。しかし、今の時代、必要な情報を選びぬくのも一苦労で、さらにその情報も、どこから来たか、次々に遡っていかなければわからないという苦労もあるだろう。
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 実は、昔の手書きの資料を、デジタル化(というか、パソコンに打ち直し)していたところだった。紙はかさばるし、古くなる。最大の不都合は、自分の書いたものながら、読み返したい部分をすぐには見つけられない、ということだ。その点、デジタル化すれば、検索可能になり、活用できるのだ。キーワードで検索すれば、他の関連資料とも比較できる。
 国文では、作品中の言葉などに注目し、独自の解釈を示すことも重要な<独創>的な読みとなることがある。そう考えると、コピペ自体にも、その人なりの選択がある。
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 横道にそれた。過去の文書を、ワードに打ち直して、手書き原稿を捨てていた。でも、万一(幸運にも?)オリジナリティー論争に巻き込まれるようなことがあった場合のことを考えて、せめて元原稿をPDFファイルで画像にも残しておいた方がいいのかしら?などと、このたびの騒動で思ったことだ。

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